仕事とかお金とか・・・・何か取り留めない日記です。
- azo-survival-field
- 10 時間前
- 読了時間: 10分
今の安蔵森林公園でバイトを始めて半年くらいになる。
バイトと言うのか仕事と言うのか・・・・何かなんにもしてない感じで偶にサバイバルフィールドの事務所に通ってお手伝いをしている。
そんでこのサバゲーに何の関係も無いブログ?を上げるって云う、何故か生産性の無い仕事が今の私の仕事です。
よく考えればこのブログって呼ばれる作文する作業、意味が分からない(笑)
もちろんこれが企業の宣伝・広告の延長であればその意味も理解はし易いのだけど・・・・今の私が上げてる作文はただの私的な日記に過ぎない、それどころか何の宣伝にすらなっていない気がする。
いや。何ならマイナスにすらなっている可能性すら有ると思うのだ。
日々の何やかんやや趣味の事、ちょっとした仕事や生活の事を日記の様に綴り、しかも写真まで添付して・・・・まるで個人の「絵日記」と変わらない。
しかも、その「個人的絵日記」を公開しているのだ。
あろう事かネットを介して世界に向けて公開している。
もちろん世界に公開とは言え日本語の読めない諸外国の方々には何が書いてあるのかすら理解は出来ないだろうけど
私的絵日記の全世界公開・・・・・何と言う羞恥プレイ、何と言う承認要求垂れ流しの恥ずかしい行為なのだ。
これでバイト代の時給が発生してお金を貰っていると言う現実。
よくよく考えれば「本名で自分自身の個人情報や趣味嗜好をお金に換えて世界中に公開」しているのだ。
幸いな事にこのAZOサバゲーフィールドのサイト内ブログは人気が無いのであまり読まれてはいない(笑)
私の私的な羞恥プレイや承認要求はまだ満足してはいない(笑)
皆様、ゴールデンウイーク中は楽しまれましたでしょうか ?
ゴールデンウイーク明けで休み疲れはされておりませんでしょうか?
只今、絶賛「羞恥プレイ」お楽しみ中の武田です。
今日のブログもサバゲーには全くと言うか毛ほども関係ありませんし年寄りの自分語りな昔話なので興味の無い方は飛ばして下さい(笑)
まぁ、言ってもいっつも書いてる作文もサバゲーの事なんてよく解らないので書いていませんが・・・・。
今日のお題は私の「私的なお仕事とかお金」です、お金、マネーのお話しです。
なんともド直球な下世話なタイトルです(笑)
とは言えお金が嫌いな人なんて思想的な共産主義者か意識の高すぎる人位でしょう。
普通の人にとっては「お金が好き」とまでは大声で宣言しないまでもお金が有っても困る事は無いし、逆にお金が無ければ日々の生活にも支障が出てしまう事でしょう。
思い返せば私武田、20歳代の10年間程はホントにお金が無かったです。
その何て言うのか食べるのに困る程ではないけど、とにかくお金の無い生活をしていた。
高校を卒業してから大阪・岐阜・神戸を転々とバイトを繰り返しながら生活してました。神戸の福原でお風呂屋さんのバイトして暮らして居た頃、さすがに生活が破綻し21歳の時に鳥取に帰って来ました。
鳥取へ帰って来てから、実家が鳥取市内で自転車店を経営していたのでそのまま家業の自転車店を引き継ぐ為その仕事に従事し始めました。
仕事を始めて割りとスグに家業の自転車店に結構な額の銀行借り入れが有った事が判ったのですが、どちらにせよ返済はしなくてはならないと思いそのまま自転車店の仕事を続けました。
私が自転車店で働いていた20代の頃は日本中が好景気だった、所謂「バブル景気」の真っ只中だったのです。
同級生の友人達は転職をする度、給与がアップしていたみたいだしボーナスが100万円を超えたとか会社の経費で高級料亭や高級クラブに行っただとか楽しそうに話ししているのを「へぇ~・・・そうなんだぁ。」と思いながら聞いていた。
私にとってはそんな景気の良い話しはまるで別世界の話しの様に感じていたからピンと来なかったのです。
先に書いている様に食べる事に困りはしなかったのですが、ウチの実家は自転車店では返済がカツカツな程度に先代からの銀行借り入れが多かった。
バブル景気で沸き立つ世の中で私の給料は毎月僅か6万円しか無かった(笑)
年収で72万円ですよ、今考えれば笑うしかない様な給与である。
もうね、このレべルになると給与と言うより大学生のお小遣い・・・・いや、その当時の大学生のお小遣いよりも少なかった。
・・・・・今よりも平均給与が高かった時代にも関わらず。
27歳で結婚した時、金融機関に勤めていた25歳の奥様の給与が年収で500万円を軽く超えていると聞いてビックリしたのを今でも覚えている。
私の給与の7倍以上の金額である・・・・奥様の2か月分の給料が私の年収より多い(笑)
しばらくはそんな奥様に金銭的な事も含め色々と面倒見て貰っていた。
そして下を向いてパンク修理をしている私の知らないトコロでバブル景気は遥か上空を通り過ぎ、知らない内にバブルは崩壊していた・・・・・らしい。
ただ、お金は無かったけどその当時は何とも思わなかった、欲しいモノが買えなかったり、食べたいモノが食べられなかったのはちょっと嫌だったけど「まぁ自分の人生なんて、こんなモノだよなぁ。」と思って諦めにも似た気持ちだったし、特にお金に対しての欲と云うモノが無かった。
何よりお金が無いなりに工夫して遊んでいたし、何より当時は楽しかった事しか思い出せない。
30歳になり、ある事が切っ掛けでお金に対する欲が出て来た。
ちょうどその頃家業の銀行借り入れが完済し、今後の事を考える余裕が出て来て自分の人生を考える様になった。
「どちらにせよ自転車店の経営では大して儲ける事は出来ない。」と考え、一緒に仕事していた弟に家業を全て譲り建築業界に転身した。
・・・・この転職も何となく当時の自分なりの判断で、鳥取で景気の良さそうな業界が土木・建築業の様に感じられたので、それを選んだ。
ただし土木業界は何となく肌が合わなさそうだったので消去法で建築業界へと進んだ。
30過ぎてからの大工見習である(笑)
学生時代にまるで勉強などしていなかった私が人生の中で初めて自分から建築関係の仕様書や参考書を購入し一生懸命勉強をしたのが30歳を過ぎたこの時期であった。
たぶん自分の人生で一番勉強していた時期だったと思う。
でも確かに勉強はしたが自分にとっての商売敵でもある大工さんはみな技術が高かった。
そりゃそうだ、周りの大工さんは皆中学を出た位からこの業界で仕事している、殆どが10年から15年選手、大工仕事始めたばかりの私になど技術にしても知識・経験にしても勝ち目が無かった。
・・・・だけど全く負ける気もしなかったし何故か不安も感じ無かった・・・・これは本人の性格的な問題だろうけど・・・・。
職人の知識や技術や経験では勝てなくても営業の出来ない人ばかりだったから。
一度知り合いの職人さんに頼まれて営業に着いて行った事が有る。
その大工さんは飛び込み営業が苦手であるし、自分の知っている工務店以外には行きたがらなかった。
しかもその行った先の工務店で「ちょっと手が空いて、なんぞ手伝える仕事がありゃ手伝ったるで。」等と言う・・・・タメ口処か上から目線で話を始める・・・・しかもこんなトークを営業と言い切るし、本人はそう信じている。
世間的には建築不況と言われていたバブル崩壊後の鳥取でもそんな態度の大工さんの営業トークであっても仕事が取れていた。
こんな遣り取りを横で見ていた私は「この業界では仕事に困る事は無い」っと確信した。
思った通り、大抵の工務店では普通に飛び込み営業を掛ければ仕事に困る事は無かった。
大工を始めた2年後、法人格を所得し会社を設立した、33歳の時である。
何とか会社も軌道に乗って大工さんを10人程抱えチョットは下請けの工務店っぽくなったトコロで不渡り手形を喰らった。
ちょうど会社設立の1周年の時だ、銀行借り入れして事務所兼倉庫の自社物件を建築中の時である。
そんな時期に額面1千万円の不渡り手形である。
実は不渡りを喰らうのは2回目だったのだけれど、1回目は大工を始めて1カ月と云った超初心者の時だ。
右も左も分からず、ましてや小切手とか手形とかテレビや映画でしか聞いた事も無い単語の頃・・・・だって自転車屋で小切手や手形切るお客さんなんて居なかったんだもの(笑)
最初に取引した工務店から先日付小切手(ホントはこんなモノは世の中に存在しない)で支払いして貰いコレが不渡りとなった。
額面にして80万円・・・・・それまで自転車店で仕事していたので、もの凄い大金であった
この金額がいきなりの不渡り・・・・・正直最初は「不渡り」と言う言葉の意味すら理解出来なかった。
「何と言う事でしょう・・・・・凄い業界だなぁ・・・・。」と言うのがこの時の感想であった。
そして2回目の不渡り手形、額面も12倍以上・・・・・・なのに何故かワクワクして面白がっていた事を思い出す。
今考えればたぶん経営的に危機的状態に置かれた事によって脳内麻薬のエンドルフィンとかドーパミンがドバドバ出ていたんだろうと思う。
かなり躁状態な言動をしていたし、とにかく必死に動き回っていたが楽しかった記憶しかない(笑)
お陰でこの時期は色々な商業の法律的な事柄の勉強も出来たし、裁判所での係争事の実務経験も出来た。
何よりかなりの無茶はしたが奇跡的に不渡りとなった1千万円に利子を付けて回収はした。
また、この不渡りを喰らってから回収するまでの事実は業界内ではチョット噂になり、それなりに業界内で評価はされ始めた。
結局その後20年間ほど建築業界に身を置く事になるのだけど・・・・・楽しい事は多かったが面倒事も多かった。
面倒事に関してはあまり詳しくは書けない内容だけど(笑)
そして、それまでのお金の無い生活の反動なのかやたらと無駄遣いをする様になった。
大好きなのに手を出す事が出来なかったクルマは、この30年間程の間で50台以上は乗り換えていた、常時2~3台は所有して乗り回していた。
コロナが流行るつい最近までは週のうち3日~5日は飲みに出て散財していた。
インテリアなんかも好きだったので別荘も含めると自宅は5軒立てたし、何事にも継続性の無い性格から色んな趣味にも手を出した。
・・・・ホントに無駄なお金の使い方はしていたと思う。
とにかく50歳になるまでの、この時期は無駄に高い自分の行動力に振り回されていた。
そしてお金と時間と人間関係にはホントに追われていた様に思う。
タイムスケジュールがびっしりと埋まっていて、スマホの無い時代のビジネス手帳は手書の文字で埋め尽くされていたし、それが自慢でもあった。
お金は入って来る金額もそれなりだけど出て行く金額も大きかった、どこかで躓いたら全てが壊れてしまいそうな・・・・まるで綱渡りみたいな感覚もあった、それを管理する事も難しかったけど日々の浮き沈みがジェットコースターの様でホントに楽しかった。
この頃は従業員の職人さんも30人を超えていたし、その分の仕事を取って来る事も自分だけの営業では限界に近かった。
そりゃ、30人を遊ばせず、30人分の仕事を取ってこようと思ったら大変ですよ。
それでもその環境に天狗になって、いい気になっていたと思う。
お金にしてもモノにしても、何より人間に対しても適当に扱っていた・・・・。
・・・・・当然にそんな人間は嫌われる(笑)
人間関係もよく破綻していたけど、スグに新しい友人や人間関係を構築出来ていたのは性格的なモノもあって気にもしなかった。
そんな私の仕事とかお金とかの大雑把な話し。
本日は写真が無いので只の「私的な公開日記」でした。
なぁんかねぇ・・・・・凄っごい長い作文になった気もするけど・・・・・ホントは書きたい事が山程あるんだけど・・・・・。
何となく自分の文章力の低さが悲しい・・・・短文で文章を纏めて人に伝えると言う事がいかに難しいかと痛感する。
改めてこんな作文を最後まで読まれた方には感謝です・・・・・ホントはこんな事書く気は無かったのだけれど・・・・・最近ね、これまでの私のブログを読まれた個人的な知り合いの方から「武田さんってやっぱり裕福な家庭の子供だったんですねぇ?」等と言われて、なんかちょっとイラッとして「ちゃうわ! そくなお坊ちゃんじゃねえよ! 昼も夜も働いて金作って、好きなモン買って、好きな様に遊んでただけだよ!」って言い返したくなって・・・・血迷ってこんなブログ上げてしまいました。
お目汚しでしたらスミマセン・・・・・・・・特に反省はしてないですけど(笑)




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